臨済宗東福寺派大本山 東福寺塔頭 萬松山 天得院「桔梗を愛でる特別拝観」へ
7月8日(水)は、各地の気象台から午前11時に、近畿・中国・九州北部の各地方が梅雨明けしたとみられると発表した。近畿地方は、観測開始以来もっとも早かった去年よりは11日遅い一方で、平年よりは11日早い梅雨明けとなりました。大阪管区気象台によると、夏の空気をもたらす太平洋高気圧の勢力が強まり、この先1週間は晴れる日が多くなるため、梅雨明けしたとみられるとのこと。明日以降は、各地で一気に気温も上昇して、連日の猛暑日になる地域もあるとみられると発表。
7月4日(土)から降り始めた雨は、7日(火)まで降り続き、8日(水)は雨が上がり前途した梅雨明けの発表となりました。この日の最低気温は23.9℃でしたが、雨が降り続いていたこともあって、蒸し蒸しした気候のなか、私は東福寺に車で向かいました。
この日の目的地は、桔梗の寺として知られている臨済宗東福寺派大本山 東福寺塔頭 天得院で、「桔梗を愛でる特別拝観」を6月27日(土)からのところを台風接近のため6月28日(日)から始められ、予定では7月20日(月・祝)まで、拝観料は500円でした。
車は「東福寺北駐車場」に入れました。HPでは9時からとなってましたが、8時55分に着くと既に開いていて、10数台の車が既に止まってました。

駐車場から歩いて「臥雲橋」まで来ました。向こうに見えている「通天橋」は有料ですが、ここは無料で通れます。
秋には真っ赤に染まる紅葉の名所も、この時期は空いてます。下を覗くと、境内を東西に横切るように渓谷「洗玉澗(せんぎょくかん)」が見えます。



8時59分に天得院の「表門」前に着きました。ここに来るのは2013年(平成25年)7月6日(土)以来です。
天得院は臨済宗東福寺の塔頭で、万松山(ばんしょうざん)と号する。南北朝時代の正平年間(1346~70)東福寺第三十世住持無夢一清(むむいっせい)禅師が開創。その後、荒廃したが、大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興され、1614年(慶長19年)に文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住菴となった。清韓は、豊臣秀吉、秀頼の学僧として寵遇され、豊臣秀頼の請に応じ方広寺の鐘名を撰文したが、銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が徳川家を呪詛するものとして家康の怒りを招き、寺は取りこわされたといわれる。現在の堂宇は1789年(天明9年)に再建されたもの。1868年(明治元年)に、山内の塔頭本成寺(ほんじようじ)を合併して今日に至っている。庭園は美しい杉苔に覆われた枯山水の庭園で桃山時代の作庭と伝わる。また境内には歌人の荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の句碑がある。初夏には凛と咲く桔梗の青や白の花が美しく「桔梗の寺」として親しまれている。秋には紅葉を愛でることができ、ライトアップも行われる。


表門を入って、左手に案内が出ていたので玄関から靴を脱いで上がりました。拝観料は500円、2013年(平成25年)7月6日(土)から変わってません。
ラッキーなことに、私が最初でした。受付で御朱印もいただきましたが、それは後ほど。

ここに初めて来たのが、2011年(平成23年)7月9日(土)で、次に来たのが2013年(平成25年)7月6日(土)でともに土曜日来てました。こんなに空いた天得院は初めてです。


今年は廬山寺や金福寺で「桔梗(キキョウ)」を見てきましたが、ここ天得院のも綺麗に咲いてます。ここのは紫の他に白色も見られました。
ここの庭園は桃山時代の手法が残るといわれる枯山水。美しい杉苔に桔梗や萩の花が咲き誇ります。毎年、6月中頃~7月上旬と11月に特別公開をされます。


私が入ってから暫くは誰も来られなかったので、ゆっくり綺麗な「桔梗(キキョウ)」を観賞できました。
江戸時代初期に、住持の文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が撰した方広寺の鐘銘「国家安康 君臣豊楽」を徳川無家康に咎められ寺は破却されてることになります。ご本尊の千手観音立像は、再建後に安置されたのでしょう。









縁側に座って庭を見ながら、書き置きの御朱印を撮ってると、1組の方がようやく入って来られたので、私は腰を上げました。
9時15分に玄関から出ました。このとき、2組ほど入って行かれました。行きはスルーしたので、まだ玄関周りを散策します。
東福寺幼稚園入口の前にあった童話碑です。「お父ちゃんが笑ったときは仏さまの顔だよ お母ちゃんが笑ったときは仏さまの顔だよ」と書いてあります。童話作家の花岡大学(はなおかだいがく)は仏典童話を数多く創出しました。
自由律俳句の創始者萩原井泉水(おぎわらせいせんすい)(1884~1976)が妻子・母を相次いで失った傷心のころ、天得院の滞在した時に詠んだ俳句が句碑にしてありました。「石のしたしさよしぐれけり」と書いてあります。
玄関の横にあった「筆塚」。由来は書いて無かったので分かりません。
この庭園に通じる門には、桔梗の紋がありました。桔梗の寺と言われる由縁ですね。
これで天得院を出ます。この門を出るときにも、2名の方が入って来られました。
表門を出た所にあった「慈母観音」です。
ここの向かいが雪舟庭で知られる芬陀院です。入口の表門は、向かって右手を少しだけ下がった所にあります。今日は久しぶりに天得院に来たので、向かいの芬陀院にも寄って行きます。
7月4日(土)から降り始めた雨は、7日(火)まで降り続き、8日(水)は雨が上がり前途した梅雨明けの発表となりました。この日の最低気温は23.9℃でしたが、雨が降り続いていたこともあって、蒸し蒸しした気候のなか、私は東福寺に車で向かいました。
この日の目的地は、桔梗の寺として知られている臨済宗東福寺派大本山 東福寺塔頭 天得院で、「桔梗を愛でる特別拝観」を6月27日(土)からのところを台風接近のため6月28日(日)から始められ、予定では7月20日(月・祝)まで、拝観料は500円でした。
天得院は臨済宗東福寺の塔頭で、万松山(ばんしょうざん)と号する。南北朝時代の正平年間(1346~70)東福寺第三十世住持無夢一清(むむいっせい)禅師が開創。その後、荒廃したが、大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興され、1614年(慶長19年)に文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住菴となった。清韓は、豊臣秀吉、秀頼の学僧として寵遇され、豊臣秀頼の請に応じ方広寺の鐘名を撰文したが、銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が徳川家を呪詛するものとして家康の怒りを招き、寺は取りこわされたといわれる。現在の堂宇は1789年(天明9年)に再建されたもの。1868年(明治元年)に、山内の塔頭本成寺(ほんじようじ)を合併して今日に至っている。庭園は美しい杉苔に覆われた枯山水の庭園で桃山時代の作庭と伝わる。また境内には歌人の荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の句碑がある。初夏には凛と咲く桔梗の青や白の花が美しく「桔梗の寺」として親しまれている。秋には紅葉を愛でることができ、ライトアップも行われる。
ここの庭園は桃山時代の手法が残るといわれる枯山水。美しい杉苔に桔梗や萩の花が咲き誇ります。毎年、6月中頃~7月上旬と11月に特別公開をされます。
ここの向かいが雪舟庭で知られる芬陀院です。入口の表門は、向かって右手を少しだけ下がった所にあります。今日は久しぶりに天得院に来たので、向かいの芬陀院にも寄って行きます。
この記事へのコメント
東福寺の塔頭・天得院さんも嬉しい催しを企画して
くれますね。秋の紅葉で知られる東福寺だけに、
通天橋を背景にした青もみじの景色も味わい深い気がします。
そして、天得院の桔梗は青と白の花が入り交じって、
いかにも涼し気に感じられました。
座敷から観賞する花の庭もいいもんですね。
天得院は、通常は非公開で、キキョウが咲く時期と、秋の紅葉で特別公開されます。長らく行ってなかったので来てみました。
今年はキキョウの当たり年でしょうか、先の廬山寺でも綺麗に咲いていたので、大変暑いなか来てみて良かったです。