臨済宗東福寺派大本山 東福寺塔頭 芬陀院(雪舟寺)へ

臨済宗東福寺派大本山 東福寺塔頭 天得院を出て次に近くの、同じ塔頭の芬陀院(ぶんだいん)へ行きました。ここには2011年(平成23年)7月9日(土)から来てませんでした。

IMG_3479.jpg天得院を9時16分に出て、芬陀院の「表門」前に9時17分に着きました。すると僧侶の方が出てこられ、準備中の看板を拝観中に替えられました。

IMG_3565.jpgIMG_3480.jpgIMG_3484.jpg多分、ご住職さんでしょうね、玄関に入られるのを待って、表門をくぐりました。

IMG_3485.jpgIMG_3487.jpgIMG_3488.jpg正式参拝は、「庫裏」の式台玄関から入るのでしょう、拝観者はお隣の玄関から入ります。ただ、久しぶりに来たので全然覚えてないです。

IMG_3556.jpg入ると左手に拝観受付所があって、拝観料500円と書き置きですが御朱印お願いしました。こちらは帰りに受取ります。2011年(平成23年)7月9日(土)に来たときは正面にあったように・・・。

芬陀院は臨済宗東福寺派の大本山、東福寺の塔頭寺院の一つで雪舟作の名庭を伝えることから雪舟寺の名で親しまれている。元亨年間(1321~1323)に時の関白一條内経(うちつね)公が東福寺の開山である定山祖禅和尚(聖一国師の法孫)を開山にむかえて創立した。以後、一條家の菩提寺として今日に至る。水墨画などで有名な雪舟等楊(せっしゅうとうよう)禅師が東福寺に参るときは必ず当院に寄寓し庭を作ったので雪舟寺ともいう。建物は1691年(元禄4年)と宝暦年間(1751~1763)の両度、火災にかかったが、桃園天皇(第116代天皇)の中宮恭礼門院(きょうらいもんいん)の御殿の1棟を賜って移築し、さらに1899年(明治32年)に昭憲皇太后(明治天皇皇后)から御内帑(ないど)金を下賜されて改築した。唐門は恭礼門院(きょうらい もんいん)の御所より移築された。「鶴亀の庭」として知られる方丈の南庭は、寛正・応仁の頃(1460~1468)、時の関白一條兼良公の好みにより雪舟が作ったと伝え、一部荒れていたのを1937年(昭和12年)に復元修理した禅院枯山水の庭である。東庭は重森三玲作の枯山水庭園で、書院の背後には、茶関白といわれるほど茶道を愛した一条恵観ゆかりの茶室図南亭(となんてい)が有り、遺愛の勾玉の手水鉢が残されている。

先ず、玄関を入って右手に進みます。先ほど外から見た式台玄関の間屏風の展示があったので見ていきます。

IMG_3554.jpgIMG_3489.jpgIMG_3490.jpg海北派最後の画師である海北友樵(1815~1868)の「四季花鳥図屏風」1854年(嘉永7年/安政元年)の作。

海北派の始祖海北友松(1533~1615)の7代目にあたる絵師でしたが、友樵を最後に残念ながら海北派は途絶えてしまいます。本物か複製かは知りませんが間近で見られました。

IMG_3491.jpg次に奥へ進みます。左手に「方丈」が、右手に有名な雪舟作の庭園を見ることができます。

IMG_3537.jpgIMG_3493.jpg庭園の前に手前の室内から見ていきます。こちらの襖絵は案内はありませんがAIで尋ねると、雲谷等竺(うんこくとうじく)(1615~1671)のようです。

IMG_3494.jpgIMG_3538.jpg室中の間」の内陣にはご本尊の「阿弥陀如来」が祀られておりお参りしました。由緒書きには書いて無かったけど、帰りに貰った御朱印でご本尊分かりました。

IMG_3529.jpgIMG_3530.jpgIMG_3531.jpgIMG_3532.jpgここの掛け軸の作者は不明です。襖絵は雲谷等竺(うんこくとうじく)(1615~1671)のようです。

IMG_3534.jpgIMG_3539.jpgIMG_3525.jpgIMG_3498.jpg次の間の襖絵は「村上東洲 (むらかみとうしゅう)」( ?~1820)と書いてありました。江戸時代後期の画家で、 京都生まれの人のようです。

IMG_3502.jpgIMG_3504.jpg次の間の襖絵は「渡辺玄対(わたなべげんたい)」(1749~1822)と書いてありました。江戸時代中期の日本の画家のようです。

IMG_1828.jpgIMG_3507.jpgこちらの机は「昭憲皇太后陛下(明治天皇皇后)」のご愛用だったようです。床の間の違い棚には、一条家の家紋である「一条藤(いちじょうふじ)」が見えます。

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IMG_3512.jpgIMG_3546.jpg方丈東庭の北側にある茶室「図南亭(となんてい)」は、茶道に造詣の深かった一条昭良(一条恵観)の三百年忌にあたる1969年(昭和44年)に再建された。「図南」の扁額は石川丈山の揮毫によるもの。

IMG_3513.jpgIMG_3514.jpg図南亭には入れます。こちらは茶関白と言われた一条恵観公像が安置されてました。恵観(えかん)公は、後陽成天皇の第九皇子として生まれ、関白や摂政を務め、非常に茶の湯を愛し、優れた才能を持っていたことから「茶関白」と言われた。

IMG_3516.jpgIMG_3517.jpg東庭に面して、大きな丸窓があって、この丸窓から東庭を望めます。この庭は重森三玲が新たに造りました。

IMG_3547.jpgIMG_3548.jpgIMG_3543.jpg図南亭の奥にも茶室があって、露地庭園には茶関白一条恵観遺愛の勾玉(まがたま)の手水鉢がある。また崩家形燈籠(くずやがたどうろう)も奥に見えます。

IMG_3511.jpgIMG_1822.jpg次に庭園を見ていきます。重森三玲は、新たに東庭に「鶴亀の庭」を造りました。手前が「鶴島」、奥が「亀島」だそうで、鶴は三羽居るそうです。

IMG_3528.jpg<IMG_1818.jpg南庭は「鶴亀の庭」と呼ばれ、当寺の大檀家であった一条兼良の所望により、水墨画家である雪舟(1420~1506)のが作庭した。

1939年(昭和14年)に、荒廃していた庭を重森三玲が実測のうえ修復を施したという。鶴島は、雪舟庭園として名高い山口県の常栄寺の庭園と同一手法で再現。畿内唯一の雪舟庭園として蘇った。常栄寺には2010年(平成22年)8月24日(火)に行ってことがあります。

IMG_3526.jpg右が「亀石」で、左が頭だそうです。左が「鶴島」のようで、折り鶴を表現されてるようです。

雪舟作と伝わる庭は鶴亀が配された優美な苔庭で、亀石が夜毎、よなよな動いたという。困った和尚が雪舟に相談し、背中に重しの石を載せたところ亀は動かなくなったという逸話が残っている。

IMG_3535.jpgIMG_3536.jpgIMG_3552.jpg誰も来られなかったので、縁側に座って休憩し、受付で御朱印貰いに行き撮りました。

IMG_3555.jpg9時35分に芬陀院を出ました。私が来てから帰るまで誰も来られなかったです。

IMG_3558.jpgIMG_3559.jpg玄関を出て表門に行かず、何か書いてあるので行ってみました。この「唐門」は、1755年(宝暦5年)の江戸時代中期に、桃園天皇(第116代天皇)中宮恭礼門院(きょうらいもんいん)の御所内旧殿を賜り移築されたものだそうです。

IMG_3561.jpg式台玄関をよくよく見ると、可愛いネズミのイラストが、多分ですが、室町時代の水墨画家雪舟が少年時代、寺の柱に縛られた際に足の親指と流した涙で本物そっくりのネズミを描いたという有名な伝説を参考にされたのでしょう。

IMG_3557.jpg9時37分に芬陀院を出ました。2011年(平成23年)7月9日(土)以来、来てなかったので、室内の記憶は殆ど無かったです。

東福寺で常時拝観している塔頭寺院には光明院がありますが、離れているので行きません。この後、久しぶりに東福寺本坊に行くつもりで、ここから向かいました。

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